北野今昔ものがたり >

ちんちん電車ものがたり

京電役員勢ぞろい開業の記念写真

明治23年京都府の予算が5〜60万円の時代に倍の125万円と4年8ヶ月の歳月をかけて悲願の疎水は竣工。

その水力発電を利用して明治28年には日本で最初の市電が京都駅(七条ステーション)〜伏見の間を走った。当日は寒い雨の日にもかかわらず、初乗りを待ちわびる市民の長蛇の列が出来たようだ。初期の車両はむき出しの運転席で雨、風の強い日や寒い日にはかなり運転手泣かせで、非力なモーターはよくオーバーヒートし真夏には作業員が団扇であおって冷やしたという笑い話も伝わっている。

明治33年それまで千本中立売どまりであったちんちん電車は愛染寺と畑や藪が一面に広がる一帯を切り開いて中立売通りを延伸、下の森駅(現在の七本松中立売)まで開通する。

大曲馬団(現在のサーカス)ののぼりがはためく

北野天満宮1000年祭がにぎやかに開かれている下の森界隈には曲馬団(サーカス)、演芸場、見世物小屋など多くの小屋や屋台が建ち並び人々であふれかえる様子が当時の写真に記録されている。明治45年には北野天満宮まで延伸され京都駅と北野を結ぶ一本の交通手段が出来て、参拝客が飛躍的に増えた。同時に北野界隈にも沿道に立ち並ぶ商店の数も増えていき、北野商店街の誕生へとなって行く。

千年祭でにぎわう下の森を出るちんちん電車

買い物客でにぎわう狭い道を軒先すれすれにすれちがって走る電車はたびたび事故もあったが、特に昭和21年2月8日午後11時堀川中立売の鉄橋から転落した事故では米兵2名を含む死者15名重傷者13名が出て、当時の電気局は大混乱になった。 (余談ですが、当時米軍に接収されていた上七軒歌舞練場は「米軍専用ダンスホール」になっており、犠牲になった米兵はそこでのダンスパーティーの帰り道でありました。)

昭和36年7月30日モータリゼーションの波には勝てず、ちんちん電車北野線はお別れの日を迎え、沿道には最後の雄姿を一目見ておきたいという一般市民、鉄道ファン、カメラマニアであふれかえった。

廃止後もちんちん電車は犬山の明治村、梅小路公園で今なお運転、子供たちにその雄姿を披露して喜ばれている。

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