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立本寺−灰屋紹益と吉野太夫の恋物語

波乱万丈(天文法華の乱、放火焼失、洛外追放、帰洛焼失、宗派分裂、強制移転・・・・)まさしくお寺にとって災難のデパートの様な数奇な運命を経ていて、日蓮祖師像は「カブトの御影」という伝説が付いています。また墓所には関が原、西軍の石田三成の軍師島左近や灰屋紹益・吉野太夫が安らかに眠っています。

灰屋紹益と吉野太夫

灰屋紹益の墓 灰屋とは徳川時代藍染め用の商いで巨大な富を築き豪商佐野家の屋号、諸芸にも通じて貴族との交流もひろく六条柳町の遊女「吉野太夫」をめぐって後の関白、近衛信尋と争い太夫を正妻に迎える。時に紹益22歳、吉野26歳父は本阿弥光悦。

2代目吉野太夫の墓がある鷹が峰常照寺 吉野太夫、実名は「松田徳子」といい慶長11年(1606)方広寺の近くで生まれ、元和5年(1619)二代目吉野太夫を名乗る。吉野太夫は美しいだけでなく芸事に始まり香道、和歌、華道、茶道は勿論のこと囲碁、双六にまで精通し誰もが太夫と席を同じくすることを誇らしく名誉に思うようになったという。身請けされた太夫は東山で暮らすが穏やかで幸せな日は長く続かず寛永20年(1643)37歳の若さでこの世を去っている。 二代目吉野太夫の墓は太夫が生前から深く帰依していた鷹が峰常照寺にあり、入り口には寄進した吉野門が立っている。