中世北野下の森は一大イベント会場
天慶5年(942)道真の霊が多冶比文子(たじひのあやこ)という女性の前に現れ、自分がかって遊んだ思い出の地、右近の馬場に祠を築くようお告げがあり、文子はとりあえず瑞垣を作って道真の霊を慰めた。これが北野社・・・・北野天満宮の起源といわれています。
当初は怨霊として祀られた道真だが学問の神様としての信仰もかなり昔からあったようだ。室町時代、朝廷では毎年道真の死去した2月25日を中心に「北野法楽連歌」が、北野社でも舞楽や猿楽が右近の馬場などで催されている。
その後も安土・桃山時代 秀吉の北野神社境内の松原での大茶会や江戸時代はじめ出雲阿国の歌舞伎踊りが始めて披露されたり、露の五郎兵衛が落語を語ったたり、いずれも天神さんの境内から下の森一帯がその舞台となっている。
他にも当時の目代の記録を見るとやぐら芝居、狂言、浄瑠璃、ものまね、人形からくり、かるわざ、講釈、相撲、のぞき店、曲馬、唐人おどり、オウム、いのしし、薩摩こうもり・・・・・などなどバラエテイゆたかである。
少し後の話になるが十返舎一九の東海道中膝栗毛の中でも、 弥次さん・喜多さんは次のように語っている
「ここにいたってにぎやかにて芝居などもあり、見世物、豆蔵、読売、講釈また空茶釜と異名せしよしず張りの水茶屋ていなるものところどころにあり菜飯、田楽を売る茶店おびただしくあり・・・・・」
と北野門前界隈の賑わいを書き記している。






